お手紙屋さんとは。


はじまり。

お手紙屋さんをおもいついたのは、20年以上、定期的に届く友達の手紙でした。

学生時代に知り合って以来、学校で毎日会っておしゃべりしてるにもかかわらず、ちょっとした手紙を交換していたりしました。些細な出来事を綴り、明日も渡すなんて決めてなくても、毎日お互いに手紙を書いて渡し合っていました。学校を卒業して、毎日会わなくなっても、定期的に手紙は届き。社会に出て働き出して、なかなか返事が書けなくなっても、途切れることなく、友達の手紙は届きました。その後、病に倒れたときも、その後の10年以上の療養生活のときも、やっと働くことができるようになった現在も、手紙がメールに代わっても、友達の手紙は届きつづき、それがどんなときも、私のとても心強い味方になってます。

誰かが自分のことを、どうしてるかなと思ってくれているということは、とても心を強くする。


夢のはなし。

私は、夢を追いかけるのが好きでした。と、同時に、常に誰かに憧れ、イイトコロを自分に取り入れることで、何度も救われ、何事も乗り越えて来れたように思っています。

ひとつめの夢は。中学生の頃にTVで、動物園の飼育員の方が、汗いっぱいかいて汚れるのも構わずに一生懸命、動物のお世話をしているのを観て以来、「汗をかいてカラダをはって一生懸命、働く姿は格好いい」と思って、飼育員になることが私の夢になりました。早速、中学生の私は、一番近い動物園の園長さんに「どうやったら、飼育員になれますか?」と手紙を書きました。すぐに園長さんが動物園に来てお話しましょうと連絡をくれて、会いに行きました。公立の動物園は公務員にならなくてはいけないことや、高校は行って卒業してから試験を受けてみなさいと教えてくれました。その後、高校を卒業し、動物の専門学校に行きました。専門学校時代に、個人的に連絡して先方がOKなら自由に実習に行ってもよかったので、中学時代に手紙を書いた動物園にも、自分がとても気に入った九州の動物園にも、休みの度に、1人で実習に行っていました。それでも、いざ就職するとなると、手紙の動物園は空きがなく、九州の動物園は、アルバイトでよければと言われていたのに、阪神大震災が起こり、その影響で白紙になってしまいました。さて、どうしようかと思ったとき、紙に10カ所の就職候補を書き出し、当たってみることにしました。この10つで全部無理だったら、この仕事は向いてないということかもしれないから、次を考えよう。と思いながら、10つの挑戦を始めました。そして、1つめ。またまたひとつめに書いていた小さな移動動物園をしている会社に、「就職は難しいかもしれないけど、実習なら来てもいいですよ」と返事をもらい、ためらうことなく、1週間の実習に行きました。具体的にどんな動物がいてどんなことをしているのか、全く知らないままの飛び込み実習は、とても刺激的な経験でした。動物はもちろんのこと、移動動物園や自然がいっぱいの環境を利用して林間学校で子どもとも交流して、手書きの機関誌を出して文章も書いている。動物も子どもも好きで、文集を書くのも好きだったので、働いてみたいと思ったことを覚えています。実習のお礼を兼ねて、出来れば就職したいという想いを切々と書き綴って、封筒パンパンで手紙を出しました。そしたら数日後、「一人辞めることになったので、働きに来ませんか?」と連絡がありました。そんな感じに、初めて持った夢は、叶っていきました。

2つめの夢は。移動動物園の仕事を始めて4年で、突然の病(ネフローゼ症候群)で入院してしまい、15年程、闘病生活を余儀なくされ、悶々としていた時期に、叶いました。正確には、2007年、病気になって8年目に、叶った夢です。それは、自分の本を出版するという夢。働くということは、「汗をかいてカラダをはって一生懸命すること」だと信じきっていた私は、カラダが壊れてしまって途方にくれました。病気になって最初の頃は、すぐ治ると思っていて、5年をすぎ、病気はずっと一緒で、自分は病人なんだと思い込ませなければダメなんだなと思いはじめました。世の中からはじき飛ばされた気分になって、世間と自分の時間の流れの速さが明らかに違うと感じていた頃に、なんとか世間とつながれる手段として、PCを使っていました。1日中寝てばかりだけど、スイッチを入れれば、世界中とつながれる。病気になってから、時間つぶしにやり始めた、詩や絵を、ホームページを作って貼りつけて見てもらうことで、なんとなく世間に参加できている気がして、しがみついていられる気がしていました。有り余る時間を味方につけて、その次の段階をめざしました。これ以上、家族に迷惑をかけないようにしながらも、自分の生きた証を残していきたい手段として、無料で本を出す、何年かかったとしても時間はたっぷりあるんだから、と。その夢は、思ったより早く叶いました。たまたまネットで見つけた、出来たての小さな出版社の最優秀だったら無料で本が出せますというコンテストに応募して、最優秀新人賞をもらい、詩集を出版してもらうことが出来ました。そのあとも、詩集を2冊、出版していただきました。そのあとも、電子本や紙本を作れるサイトで何冊か製作しつづけています。

その後、薬は飲みつづけてはいますが、毎日すこしの時間働けるようになって、丸3年が過ぎました。カラダも気持ちも整い、そろそろまた、夢を持ってみようかと思えるようになりました。

そう考えたとき、思い浮かんだのは、ずっと心の支えになってくれていた、友達の手紙でした。それは、日常のたわいもない出来事がつづられている手紙なんだけど、いつもほっこりとあったかくなる手紙やメールで。誰かにこのぬくもりをおすそわけしたいと思うようになりました。

そういう気持ちの他にもうひとつ、考えていることがあります。

このお手紙屋さんのスタートは、私1人で模索しながらカタチにしていこうと思っているのだけれど、ゆくゆくは、届ける側もふえていけばいいと思っています。私は、長い間、病と共に家から出られない日々を過ごしました。それでも、つながれる場所があれば、自分の世界は広げていけると思うのです。何らかの事情で家から出られないけれど、働けたらいいのにと思っていたりする人は、たくさんいるんじゃないかと思います。その人が、世界中の誰かに手紙を出せることが出来たなら、それが仕事になったなら、自分の居場所を見つけられたなら、届ける人も届けられる人も、つながることでみんな、ちょっとずつ元気になれるんじゃないかと思っていて、どうにかそんな仕組みを作っていけたならと、そんな気持ちも、めいっぱい、つめこみつつの、この夢です。

できないかもしれない、でも、やってみてもいいんじゃないかと、そんな感じです。


手紙の種類は、さまざまなパターンが今、頭の中をグルグル泳いでいます。

少しずつ案を、書いていこうと思います。できるかどうか、やってみる、とりあえず。

「とりあえず」っていう言葉は、私の口ぐせ、原動力です。それでは、また。

HUG SMILE

お届け屋さん。

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